外交的思索への誘い

東京大学法学部大学院教授、小原雅博。国際政治や日本外交について綴る。

講談社現代新書「日本の国益」(小原雅博)について

米中露「国益ファースト」の時代に、改めて問うべき「日本の国益
進むべき道は「日米同盟+α」にあり

小原 雅博
 

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世界中で「国益」が叫ばれ始めた。
毎年開講するゼミで学生たちに「国益とは何か?」と質問する。外務省や防衛省財務省など国益に関係する官庁を志望する彼らが戸惑い、答えに窮する。

しかし、政治やメディアの世界では、日々、「国益」の言葉が飛び交う。

これほど当たり前に使われ、わかったつもりになっている言葉でありながら、深い議論がなされてこなかったテーマを筆者は他に知らない。

今日、世界ではかつてなく「国益」が声高に叫ばれるようになった。トランプ大統領が「アメリカ・ファースト」を連呼すれば、習近平国家主席は中国の「核心利益」は絶対に譲れないと言明する。

実は、アメリカが偉大であったのは、その強大なパワーを、自国の国益のみならず、同盟国や友好国の安全、そして、開かれた国際経済システムや法の支配に基づく国際秩序の擁護に使ってきたからだ。

そうした「国際益」や「世界益」を自国の国益であるとまで宣言した国はアメリカをおいて他にない。世界はそこに「偉大なアメリカ」を見た。

しかし、イラク戦争世界金融危機アメリカは疲弊し、傷ついた。その回復を託されたオバマ大統領は、「世界中で起きる間違いをすべて正すのはアメリカの手に余る」と述べ、アメリカが最早「世界の警察官」ではないことを認めた。

その後を継いだトランプ大統領は、従来の政策を「アメリカの産業や軍隊や国境や富を犠牲にして外国を助けてきた」と批判し、「アメリカ第一」に大きく舵を切ったのである。

photo by Gettyimages
アメリカが後退した空白を埋めるかのように、中国が「大国外交」と「核心利益」を掲げて自己主張を強め、ロシアと共に、力による現状変更に動く。国家を超える共同体の拡大と深化という大実験を続けていた欧州でもナショナリズムや国家主権が復権している。

国益が最優先される時代、自由貿易や法の支配といったリベラルな国際秩序が悲鳴を上げている。

世界の激動の中で、国家を駆り立て始めた「国益」とは一体何なのか?

世界で「国益」が叫ばれる今こそ、「国益」とは何かを真剣に論じる必要がある。そんな問題意識を持って『日本の国益』を執筆した。

国益」とは何か?
第1章で、「国益」の概念をわかり易く解説した。外交において留意すべきは、自国に国益があれば、他国にも国益があり、未成熟な国際社会にも「国際的な公益」があることを認識することである。さもなければ、国益は国家を排外的ナショナリズムや一国主義的行動に駆り立てる道具となってしまう。

自国の国益と他国の国益、あるいは、国際社会や人類の利益との関係をどう処理するか、どう両立を図るか、ウィン・ウィン関係は可能なのか、そうした問いに答えようとする営みこそが「開かれた国益」を追求する外交である。

しかし、それは容易ではない。政策決定プロセスにおいては、族議員や各種利益集団の声、メディアの商業主義、行政側の「忖度」が介入する。

加えて、私達は、今、民主主義モデルの信頼性が揺らぐ時代にいる。ポピュリズムや過剰なナショナリズムリベラリズムへの反動となって欧米社会を席巻する。歴史の歯車が後転しているかのようだ。

第2章では、古代ギリシャトゥキディデスの「戦史」から今日のトランプ大統領の「アメリカ第一」まで、国益の歴史的展開を振り返る。

そこでは、国益とパワーや道義の関係が国家の命運を左右し、歴史の流れを決してきた。国際政治学の父と言われるモーゲンソーは、国益をパワーによって規定した。これは時代を超えたリアリズムの要諦だ。

国益を語る指導者は、自国の絶対的・相対的なパワー(国力)を踏まえ、国益の優先順位を付け、限られた資源を戦略的に投入し、優先度の高い国益の確保に努めなければならない。また、安全や経済という利益と自由や正義という価値の緊張関係の中で国家としての選択を迫られた国家指導者も少なくない。

パワーや道義と向き合う時、彼らはどんな選択をしたのか、その結果歴史はどう動いたのか、そんな問題意識を持って第2章を読んでいただきたい。

 

米中関係が日本の国益を大きく揺るがす
第3章では、日本の国益に重大な影響を与える米中大国関係を取り上げて、その行方を展望した。

国益が明確でなければ、戦略は一貫性を欠き、危機に際して果断に主体的・戦略的な対応を取ることはできず、国家は危殆に瀕する。まさに国益を誤れば国家は衰え、滅びる。戦前の日本がそうであった。

戦後の日本は、偏狭な国益追求を排し、アメリカの造り上げたリベラルな国際秩序の下で、国際協調外交に努めた。この間、国益が論じられることはなかった。平和と繁栄は日米同盟と自由貿易体制という枠組みによって維持されてきた。

しかし、その枠組みはトランプ大統領の「アメリカ第一」によって怪しくなってきた。強国・強軍という「中国の夢」の実現を目指す習近平国家主席は「一帯一路」に象徴される大国外交を展開する。

中国「一帯一路」の展開(『日本の国益』第3章より)
中国台頭は続き、パワー・バランスも変化する。台頭国家の国益やパワーが既存の規範や秩序を脅かし、権力政治というリアリズムが幅を利かす。そんな流れが欧米諸国の民主主義の不振・減退によって勢いを増している。

流動化し、液状化し、無秩序化する世界はどこに向かうのか?

その答えは、戦後世界を60年以上にわたってリードしてきたアメリカと、世界の頂点を目指す中国の行方と両国の関係にかかっている。

中国はアメリカを追い越すのか? 米中両大国は「トゥキディデスの罠」を回避できるのか?

トランプ政権は、中国を「アメリカの国益や価値観と対極にある世界を形成しようとする修正主義勢力」と明言した。米中両大国が国益のみならず、価値観をめぐって闘争する「新冷戦」に突入したかのようだ。ハイテク覇権をめぐる貿易戦争はその例だ。

アジアの中小国は、台頭する超大国候補と疲弊した超大国の狭間で経済利益と安全保障リスクのジレンマに揺れる。

ある国は中国の唱える「平和的発展」を疑問視しつつも、中国との経済関係の発展に期待を寄せる。また、ある国はアメリカの軍事プレゼンスを願いつつも、その行方に不安を覚える。中国はそんな諸国への外交攻勢を強める。

アメリカ優位が崩れつつある中で、「勝ち馬」中国に乗り換える国が出てきても不思議ではない。「China Pivot (中国旋回)」したフィリピンのドゥテルテ大統領は「ロシアか中国が新秩序創設を決めるなら、私はそれに一番に参加する」と公言した。東アジアは中国との合従連衡やバンドワゴンの時代に突入した。

 

日本の国益を脅かす「3つの脅威」
2013年、安倍政権は日本初の「国家安全保障戦略」を策定し、その中で、①日本の平和と安全、②日本の繁栄、➂リベラル国際秩序の擁護を日本の国益として位置付けた。戦後、日本政府が国家の重要な政策において日本の国益を規定したのはこれが初めてであった。

こうした日本の国益を脅かす問題として、第4章で、3つの脅威を取り上げた。

①国家・国民の平和と安全という死活的国益に関わる北朝鮮の核・ミサイルの問題

②国家の主権や領土・領海に関わる尖閣諸島を含む東シナ海の問題

③法の支配という国際秩序の擁護に関わる南シナ海の問題

こうした問題の本質に迫り、日本としてどう対処するのか、どう国益を守るのか、そのための戦略や政策を論じた。
 
戦後の日本外交の基軸は一貫して日米同盟であり続けてきた。そして、国際情勢が大きく変化し、「アメリカ第一」がリベラル秩序と同盟関係を揺るがす今日も、日米同盟の先に何かを見つけようとの動きは見られない。アメリカの「正常化」を待つ日本。

しかし、トランプ政治が問題の現れであって、原因でない以上、第二、第三のトランプが現れる可能性もある。それは、日米同盟だけで日本の国益を守れるのかとの疑問を生む。

「日米同盟+α」戦略を構想し、推進する時である。そして、そのαが中国を意識したものとなることは明らかだ。日中関係の新たな均衡点を見出す努力が不可欠である。

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日本としては、中国経済のダイナミズムを取り込みつつ、中国の影響力が強まる地域秩序が自由で開かれた法の支配に基づくものとなるよう、TPP11に加え、「一帯一路」やRCEP(東アジア地域包括的経済連携)の中においても役割を果たしていくべきである。

同時に、ネット世論や軍や共産党宣伝部による対日強硬の声が中国政治を壟断しないよう、首脳同士の信頼関係の構築を始め、あらゆる分野でヒトの交流を大幅に拡充する必要がある。

14億の中国人の対日理解の増進につながるパブリック・ディプロマシーの強化も必要だ。訪日観光の促進はその種の副次的効果が大であり、単なる数字目標の達成ではなく、受け入れ態勢を含めた戦略的対応が求められる。

リベラルな国際秩序が「力の論理」や過激なナショナリズムによって動揺する中で、リベラリストの声は日本でも世界でも弱まりつつある。そんな時代を迎えているからこそ、他国や国際社会の利益との調整を通じた国益の追求という「開かれた国益」が日本外交の思想的基盤であってほしいと思う。そのことを最終章で論じた。

 

日本は、戦争の歴史に謙虚に向き合う一方で、未来志向の大義や価値を掲げて実践する道義的リーダーとして輝けるだけの社会を築き上げている。

成熟した民主主義国家、自由や人権や法の支配といった普遍的価値が定着したリベラルな社会、世界の貧困や教育や医療に援助の手を差し伸べてきたODA大国、核兵器のない世界を目指す平和国家である日本は世界の模範となれる国家だ。

拙著『日本の国益』が、国益に対する読者の意識と関心を高め、日本の政治や外交のあり方を論じる上での一つのアプローチとなれば幸いである。